心が弱めな若手SE(仮)のあれこれ

平穏な人生の運用管理

人は信じたいことだけを信じる「1984」の批判対象になってしまった私

手中の本は彼を虜にした。いや、安堵させた。知らぬことなど何も書かれていないともいえるが、それがまた心を惹き付ける。自分のちらばった思考をまとめることができるとするなら、この本はまさしく彼の代弁をしている。彼とよく似た精神の持ち主が生み出した本だが、遥かに力強く、ずっと筋道が立ち、恐怖に囚われてもいない。

最高の本当はすでに知っていることを物語ってくれる本なのだ、と彼は確信した。

 

ジョージ・オーウェル著のSF小説1984』を読了。

11月から読み始めて、移動の電車内で読んでいたが読み終わるまでに3ヶ月もかかったとは…

大学時代に読んでおきたかった本だった。

政治・社会・個人の心理について学べる本なので、人文社会学やメディアなどに興味を持って専攻していた学生の頃の自分に強く勧めたい。

難しいし、最初の方はその世界についての説明的な描写ばかりで全然面白くなかった。しんどくて読むのを止めようと思ったけど、離脱する前に一度内田樹の解説を読むと、”物語がぐんと加速するのは、本書の69頁”って書いてあったので一応そこまで読んでみることにした。確かに、そこでやっと主人公の心情とか考えが見えてきて物語として面白くなってきた。

後半は衝撃的な展開と痛々しい描写の連続で、ドキドキハラハラしながら夢中になって結末まで一気に読んだけど”カタルシス”的なものはなく疑問も残るし、なんなら訳者のあとがきで、改めて自分の思慮浅さや洞察力のなさなどの弱点を突かれてしまった。

 

★目次★

 

あらすじ

架空の世界である全体主義国家オセアニアが舞台。

主人公ウィンストン・スミスは、政府の情報操作を担う真理省で働く内向的な中年男性。冷静で内省的な彼は、体制が強いる嘘や監視に違和感を覚えながらも、周囲に従う日々を送っている。しかし、密かに日記をつけたり、禁じられた恋愛に身を投じたりと、自分の中の自由を求める気持ちを押さえきない。そんな中、彼の行動はやがて体制に目をつけられるきっかけとなる。。。

 

作中に出てくるもの架空のモノや文化

テレスクリーン…テレビ画面・マイク・カメラが一体化した監視装置

思考犯罪…政府に反する思考を持つこと自体が犯罪とされる概念

思想警察…人々の思想を監視し、反体制的な考えを持つ者を摘発する秘密警察

ニュースピーク…言語を単純化・改変して、自由な思考や反体制的な意見を表現できなくする政府制定の言語

イングソック…オセアニアを支配する党の公式思想で、「English Socialism(イギリス社会主義)」の略

二重思考…矛盾する2つの考えを同時に信じる能力。体制の矛盾を意識させないことで、絶対的な忠誠を維持する。

 

印象的だったところ

戦争は平和なり

自由は奴隷なり

無知は力なり

2+2=5

1984の世界では上記の意味を理解できた者達のみが生き抜けるのである。

「理解できた者」というよりも、「疑念を抱かない者」が正しいか。

平和な世界には戦争が存在しないはずだし、

何かの奴隷になることは自由を意味しない、

無知であることは何かの場面で弱みとなるはずだ。

2+2はどう計算しても4以外になることはない。

しかし、二重思考を習得すればそれらの意味を為さない文は、そのままの意味として意味を持つようになるのである。

無知は力なり

この世界ではまず、無知であればあるほど得であると言えるだろう。

愚鈍は知性と同じく必要で、知性と同じく習得が難しいものだ

二重思考って案外それほど難しいものではないのかもしれない。(上の文でもうやってるし)

それは、思考のメカニズムについて理解できれば、すぐに習得できるだろう。

全ては精神の中で起こる。そしてあらゆる精神の中で起きたものはどのようなことであれ、実際に起きるのである。

いきなり仏教の観念の話が始まるではないか。

マトリックスの世界では、子供がスプーンを曲げて見せた。結局、脳を通してしか人間は外の世界や事実を判別できないのである。

であれば、自分の脳内で事実を作り上げてしまえば、それは外界で起こった事実となんら差はない。という哲学的なお話もあったり。

 

感想

異端思想を持つウィンストンに共感してしまう場面が何箇所かあった。

政府への違和感、周りが当たり前に洗脳されていることへの違和感、真実への知的好奇心、真の自由や平等こそが人々に平和をもたらすと信じているところ。

作者が意図的に読み手に共感してもらえるような人物を描いたのかもしれない。

私は、作者はウィンストンという1人の男に希望を託し、読み手に行動を起こすように誘導するために描かれた「正しい人」だと思っていた。

しかし、最後まで読むと分かるが、著者にとってウィンストンは特別な存在ではなく、全体主義の犠牲者となった無力な個人の一例程度の存在でしかなかったようだった。

また、訳者あとがきでは以下のように綴られている。

多数派が信じる「真実」と矛盾する情報を手にすると、なんの根拠もなく「世間が知らない重大な真実を見つけた」という気持ちになり、それをきっかにして極端な思想を持つに至る

彼のリテラシーの低さと思慮の浅さが露骨に描かれていると受け取っていいように思える

んん。。。ウィンストンと自分をつい重ねてしまった私にクリティカルヒットです。

 

全体主義を批判しているのに、それに抗おうとする1人の人間もまた批判して

読み手の自分も何が正解なのかは分からなくなってしまった。

それに、訳者は、「政治的に無関心でありながらもウィンストンの思考犯罪に巻き込まれたジュリアがかわいそう」的なことも書いている。

反体制を語るウィンストンがのほうが鬱陶しいように描かれていているきらいもあり、また、そのおかげでジュリアの自由な魅力がひときわ際立っているように感じられる。

ますますかわからない。

政治に無関心な友達に「選挙行かないとあかんで」っていうのは鬱陶しいことなのだろうか。彼らが自由で魅力的な心を持っているのであれば、私はその邪魔をしているのだろうか。。

訳者の解釈が間違っていると思いたいくらい。。

ちなみにchatGPTはウィンストンのことを思慮深い人だと思っているらしい。

 君も私と同じ思慮深い人間でいたいタイプだね。GPTくん。

 

冒頭の引用に身に覚えがあればある人ほど、この本の批判対象になりうるだろう。

自分の信じたいことだけを信じて、自分が正しいと思っていることが事実になりうる情報を無意識に取捨選択してしまうことのあらわれだ。

逆にピンとこない人は、ニュートラルでフラットな見方ができる綺麗で曇りのない眼鏡を持っている人なんだろう。

 

年末しっかり反省させられました。

 

時間がある人はぜひ読んでね!

読んだことある人は感想シェアしましょう。