前回に引き続き「むずい親」について
どう「むずい」のか、具体化してリアルな姿をみせていくよ。
そして、そんな親子関係が自分の性格にどう影響を及ぼしたのか振り返ってみる。
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前回はむずい親あるあるエピソードを綴ったが、今回はもう少し固有性が高めな話から。
父親のエロが垣間見えた時
私の父親はPCで女の裸の画像を平気で映したままにして、子どもの目に簡単に入るような状態で放置することがよくあった。
また、インスタやTwitterで実名&顔写真付きでアカウントを持っていて、それでエロ垢をフォローし投稿をリツイートまでしている。
私がインターンで投稿したポストを、そのアカウントでリツイート(エロポストに並ぶわたしのインターンの投稿の図を想像してほしい)されたことがある。
面白い話に聞こえるかもしれないけど、私的には生理的に受け付けられない気持ち悪さと、相手の意図が理解できない腹立たしさで全然笑えない。
母親がだらしない その1<家事が苦手>
家事や料理が圧倒的に苦手なのに、それを認めない。安物の服がクローゼットから溢れており、埃をかぶっている。
お風呂やトイレ、台所などの水回りの掃除の仕方が分からないためカビだらけで放置している。(それに対して違和感や不快感がない)
私はSNSや、彼との同棲で最低限の家事を知ることができたから、母の家事スキルのレベルの低さを今更知った。
料理も得意ではない(自分では認めようとしない)。お金がないのに、国産和牛のステーキを買って焼いて出し、野菜はもやしの炒め物だけ、とか。とにかく品数と材料が少ない。彩りや栄養素というものを考えて料理をしたことがない。私でも作れるようなハンバーグやオムライス、親子丼など、定番のものでさえ作れない。夕食の時間もいつも9時以降。
学生の頃のお弁当も、米にウィンナーと冷凍の唐揚げのみ、といった質素なものだった。用意してくれるだけ有難いのかもしれないけど明らかに友達のお弁当と違くて悲しかった。美味しくなかった。
それも、母親はベトナムで生まれ、あちらでは家事や炊事は家政婦の人がやるため、家事炊事をする機会がなかったからしょうがないのかもしれない。
母親がだらしない その2<時間にルーズ、スマホ依存>
私の母はとても時間にルーズで、保育園の送り時間を守れなかったため、よく注意された。
「ベトナム人だからしょうがないよね」と言われると今度はプライドの高い同じくベトナム人の父親がキレる。
昔から、長電話をしたりテレビをぼーっと見たりして、夜更かしばかりで、私も子どもながらそれに合わせて0時過ぎに寝るのが当たり前だった。
今でも、母は0時を過ぎても風呂に入らずベッドの上でダラダラTikTokを見漁って、そのまま寝てしまうことがある。
もうすぐ60になるオバさんが自撮りも大好きで加工しまくりの写真をLINEのアイコンにしたり、TikTokに動画を投稿したりしてドン引き。
私が嫌いな歩きスマホをしてトロトロ歩き、食事中も運転中もTikTokを見て脳死している。
と言った感じです。
この親の「むずかしさ」についてどれくらい伝わったでしょうか。私の持つ母親像や父親像の理想が高すぎるのかもしれない。
親の影響による私の性格
自己肯定感が低くなります(アダルトチルドレンあるあるらしい)
- 自分の悪い部分が親の悪い部分と重なり、自己嫌悪に陥る
父親譲りで神経質なところ、母親譲りの怠惰で依存的なところ
- 他の人が当たり前に出来ることが、出来ないので自信をなくす
両親が「常識」というものに専ら無頓着なため、一般常識(挨拶や相手に対する配慮など)について教えてもらえず、無意識に迷惑をかけてしてしまう。そのため、またやらかしてしまうのが怖くて飲食系のアルバイトはいつも1ヶ月くらいで飛んでいた。
- 恋愛も就職も人より苦労、時間をかけてやっと人並み
恋愛体質(理想を抱きやすい、依存的傾向が強い)だったためよく片思いをすることはあったが、異性との関わり方が分からず、成就することがほとんどなかった(彼氏いない歴=22年)
就活は、自己犠牲をしてまで(働くことにネガティブなイメージが極端に強かったため)生きていくことに納得いかず、2年休学。
マンションを売った時に入った金で、留学と旅行とインターンという経験を買い、やっとこさ一般企業に就職。この2年間はがあって本当によかった。このような経験を買える金がない世界線の私はどうやって生き抜くのだろうか。
とまぁ、ちょっと人より周り道して、人並みの人生をギリギリに歩んでいる状況。
「むずい親」と今後どう付き合っていくか
現在は母親と2人で暮らしているが、彼の家でほぼ同棲状態のため、顔を合わせる機会が少なくなり衝突することも減った。
自分の生活に経済的にも精神的にもゆとりができたとき、ふと親のことを思い出すと胸が苦しくなる時がある。
私の両親は、不器用ながらも私をとても愛してくれていた。経済的な援助ももちろん、ヒステリーではない時は私を褒めたり、条件付きではない愛する言葉をかけてくれた。それもあって「むずい親」。
ただ愛してくれる人がいるだけでも幸せなことなのに、その人たちが所謂「モンペ」で「非常識」な嫌われ者だから、拒み続けていた。アイツらとは一緒になりたくなかったから。そして、自分を理解してくれなかった悔しさから、自分は不幸でいないとダメなんだ(不幸になって親に後悔させたい)っていう呪縛が足枷になっていた。
私みたいに自ら呪縛を掛けてしまっている人もいるのではないのだろうか。
自分は幸せになっていいのに、親なんて所詮他人なのに、変なこだわりを持ち続けて、自分で自分の首を絞めている人。
「毒親」の解毒方法についてはいろんな人が、アダルトチルドレンやらインナーチャイルドの癒し方やらで紹介していると思うので、
私は「むずい親」の煩わしさから抜けた方法についてお伝えさせてください。
- 親を他人だと思って、自分とは切り離す。「恥ずかしい親を持っている、ダメな親を持っている」というそのものの劣等感が弱まる。が、その副作用で孤独を強く感じるようになる。自分の居場所というものが消えます。味方もいなくなり、他人に不信感を抱きます。
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孤独の時間を使って、色んな世界に触れる。私はマッチングアプリを通して普段会わないような人とよく話したり、友達とのエジプト旅行ではイスラム教に触れたり、大好きなニューヨークやカナダでエネルギッシュで愛に溢れる人達と出会ったりして、視野が一気に広がった。「こうでなければ普通じゃない。それができなければ自分は普通にも及ばない負け組/社会不適合者」という強迫観念から解き放たれた。
また「読書」や「映画」という手段でも、新しい世界に触れられる。時に自分の気持ちに寄り添ってもらい、時に新しいものの捉え方を教えてくれる。そうして、少しずつ世界や自分に対してポジティブになれる考え方や価値観を植えつけられた。
時間をかけて自分でカスタムしながら脳を洗脳していくことは、一元的な考えを押しつける危ない宗教やマルチの洗脳とは質が違う。
そうやって今は、人に対して寛容になり、自分に対しても寛容になれたのかな?
私もまだまだこれからだけど、本心で望んでることは自分も幸せになって、やっぱり両親にも幸せになってもらうことなんだと思う。この想いを始めて人に話した時に、涙が自然と溢れ出てきたのと同時に安心したのだ。やっと素直になれたような気がして。
親を前にすると、反射的に冷たい態度をとってしまう。
しかし、ふと生活に余裕が出て親を想うときに、慈悲深い気持ちでいっぱいになる。
自分がとる酷い行動を思い出して、申し訳ない気持ちになる。
感謝とか、信頼とか、そういうのではないけど、やっぱり愛しているんだろうな。
「いつか恩返ししたい。」
子どもにそう自然と思わせることができたら、子育ては成功だよね。
と、子ども目線の生意気な意見でした。
自分が親になったら、また色々考えることがあるんだろうなぁ(なるのかわからないけど)